信じられないから行動しないではなく、疑いながらでも試してみること

今日、亡くなった父の、古くからのご友人である種田篤郎さんと再会を果たすことができた。

15年ぶりの再会。
北九州の門司にある病院(海が見える)まで、私がお見舞いに行って以来。

3年前には膀胱がんの治療のため入院し、膀胱を全摘出。
それ以降も、心筋梗塞、脳梗塞、肺炎と次々に襲い来る病を乗り越え、現在に至る。

昭和9年生まれの御歳83歳。

顔の肌ツヤや血色の良さから、現在が闘病中とはとても信じられないほどお元気なように見える。

そのあまりの超人ぶりに新聞社(数社)からも取材が来ているとのことだった。

種田さんは、国立音楽大学中退後、米軍基地のクラブを巡ったあと、小倉のキャバレーを拠点に活動を開始された。

そして、25年間にわたりボランティアで市民コンサートを開き、北九州市からは5回の感謝状を受けたこともある。

現役のジャズトランペッター。

小倉の繁華街にあるライブハウス“カサブランカ”にて、月イチで舞台に立たれている。

そんな種田さんから、父とのおもいで話を初めてお聴きした。

若かりし頃、人生の苦難と不条理に直面し、あまりの辛さに、車に乗ったまま海に飛び込もうと思ったことが三回ある、と。

しかし、そんな人生で一番辛い時期に父と出会い、励ましてもらった、と。

年齢は父のほうがだいぶ下だが、先輩のように敬愛していたと言ってくださった。

励ましといえば、在りし日の父が、たくさんの絵はがきやポストカードに、父が好きな詩の一節を書き写したものを大切な人に贈っていたことを思い出す。

お世辞にも上手な字ではないが、味があり、迫力がある父の字。

思い返せば、一昨年に父が亡くなった時、父の死を一番悲しんでくださったのが種田さんだった。

訃報をお知らせした際、電話口で号泣されて会話にならなかった。

話を戻す。

以来、種田さんとは家族ぐるみの付き合いに。

私が小学生の頃、毎年の夏休みは家族合同でキャンプに行くのが恒例行事だった。

山口県下関市のマリンピアくろい(現在は閉鎖された)で泳いだこと。
海岸に打ち寄せる波の音の中で眠りにつき、蝉の鳴き声で起きたこと。
ボートのオールでスイカ割りをしたが折れてしまい気まずかったこと。
鯛釣りの際、針にかかった鯛をいけすの中にいた別の魚が食べたこと。
テントで寝ていたら夜中、蚊に刺されまくったこと。

何もかもが懐かしい。

今回、種田さんがおっしゃったことで一番印象に残っている言葉がある。

「試してやろうと思ってるんだよ」
「なにをですか?」

『自分が信じてること(偉人の言葉)は本当に正しいのか?』

かつて、地球上に存在した聖人や哲人たちの遺した言葉。

『正しいことを証明するために試す』

頭にガツンと衝撃が走った。

壮絶な闘病人生であるがゆえに、すべてを疑って、疑って、疑い抜いたと。

『自分は苦しむために生まれたのか?』
『自分はこの人生でなにが遺せるのか?』

駅で別れる際、固い握手を交わし、再会を約束して別れた。

いつもフザけた?エントリーを書いている私ではあるが、様々な想いを胸に、この“風来の案内人”を立ち上げた。

お父さん、種田さん、見ていてください。

 

~追記~4/10

本日、種田さんから一通の封書(大判の)が届いた。
開封してみると、4月3日付朝日新聞(夕刊)が入っていた。

7面に種田さんが掲載されていた。

種田さんは、自身の限界を打ち破るべく、今日も挑戦の日々を過ごしておられる。

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