スズキ(ボス)

こんな人です

※ボスは実在の人物です。また全て実話であり、一切の誇張表現はありません。

  • 曾祖父がロシア人(2mを超える大男)で、ワンエイス(1/8)である。
  • 東京の本郷(東大のすぐ近く)で生まれる。3歳の頃、「ボク、ここに行くんだ!」と言っていたが、東大(学歴)とは最も遠い人生を歩むことになった。
  • 父親が神田明神下で何軒ものお宅(以前、氷屋を営んでいた父親が花街界隈に氷を卸していた頃に上客だった芸者さん達がお年寄りになっていた)のお宅の雨戸(木製)の開け閉めを、早朝と夕方、それこそ雨の日も風の日も黙々とやってあげていたり、電話のないアパートの住人達に電話を取り次いであげたりした光景、そのときの親父の背中、人に親切にする生き様が生涯をつらぬく原点となっている。
  • 小学1年生。休みの日は、片道分の電車代だけを手に駒込から上野まで行き、不忍池でザリガニを釣り、線路沿いを歩いて家に帰った。また、冬休みには、友人らと駄菓子をたくさん買い込み、暖房の効いた山手線(座り放題、走り放題)の中で一日中遊んで過ごした。
  • 小学2年生。二階の屋根から屋根(間隔の狭い)に飛び移る度胸試し、2mの塀から飛び降りるゲーム等、危ないことばかりしていた。
  • 小学校3年生。放課後になると、銭湯で友達と待ち合わせし、お湯につかり、あつくなったら、銭湯の外にある、鯉が泳ぐ池に入って身体を冷やし、再び湯につかる、というまるでサウナ→水風呂のような迷惑行為を繰り返して、閉店時間まで過ごした。
  • 看板屋の看板を重ねて、秘密基地を作り、ネズミのこども(!)を拾って、育てたりしていた。エサは魚屋の大将からタダでもらった魚のアラ。
  • 小学4年生。ケンカでは常勝(圧勝)・無敗を誇り、同級生がやられた場合も、相手がどれだけ大人数でも仕返しに行き、仇をうっていたが、ある時、中学3年生の番長グループ7人を相手に独りでケンカした際に、ボコられ、歯を折られ、人生で初めての敗北を味わうが、折れた歯を相手に投げつけるくらい勝気だった。
  • ボロボロの車があったので、『手と足だけを使って壊せるかな?』と試してみたくなり、窓を割ったり、ハンドルや扉を取ったりして、解体していたら、団地から大人と子供がたくさん出てきて、大目玉を食らった(廃車じゃなかった)。
  • 同時期、駐車場に停めてある自動車や軽トラックを友人たち数人と持ち上げては、塀にピッタリとつけ、出るのが大変な状態にして、大人が困る様子を見ては『バカだね~』と楽しんでいた。
  • イタズラをした際も、逃げ足が早かったので、どんなときも自分がつかまることはなかったが、友人がつかまると、自分も現場に戻り一緒に叱られた。しかも、身体が大きかったので主犯格とされた。まあ、実際に主犯格ではあったワケだが
  • 学校では「立っとれ!」と連日廊下に立たされ、母親からは「帰りが遅い!」と家の外に立たされ、学校でも家でも、とにかく立たされてばかりだったので、一日の大半は遊んでいるか立っているかで、ほとんどジッと座って過ごすことがなかった。
  • 小学5年生。駒込から板橋区内に引っ越す。そこで、近隣に住んでいた落語家の鈴々舎馬風(当時は柳家かゑる)さんにとても可愛がられ、その縁もあって、結婚式の司会は弟子の一人にやってもらった。
  • 小学生時代、朝食はカフェオレ一杯のみ。小学3年生まで主食はじゃがいも(現在もコロッケが好物)でコメはほとんど食べず。食事時間や睡眠時間を削っては、その時間のほとんどを遊びに使っていた。10代後半から20代半ば頃までは大食漢だったが、それ以降は普通の食事自体をほとんどしなくなる。そして、栄養学の観点からはメチャクチャだが、ピーナッツばかり、アーモンドばかり、カシューナッツばかり、節分の豆ばかり、豆乳ばかり…というマメマメ偏食生活を現在に至るまで続けている。食事会などでは、自分はほとんど食べず、人が美味しそうに食べるのを、目を細めて嬉しそうに眺めている。
  • 小学生~中学生の頃、田中角栄の演説を聴いたことで尊敬の念をいだくようになる。
  • 専門学校時代。アメフトの試合に助っ人で出るよう頼まれ、素人にもかかわらず、出場したところ、ボールには一切触らず、タックルを決めまくり、ジョナサン・ジョースターのような周囲が驚く活躍で、チームの優勝に貢献し、それが今なお友人らの間では語り草となっている。
  • この頃の愛車は、日産・サニーの中古車。千葉駅に停車していたところ、酔っ払いに車体を蹴っ飛ばされたのを目撃。走り寄って取り押さえると、相手はすぐに謝ってきたが、「すいませんじゃねえよ、俺に謝ってんじゃねえよ」、「車さんに謝れよ」と言って、謝罪の観点がズレていることを的確に指摘する。
  • 20歳。現場監督をやり、大勢の職人を一人で仕切っていたが、この時のエピソードとして、入社する前に「会社に入ったら休みなく頑張りますので、入る前に二週間の休みとお金をください」と社長にプレゼンし、それが採用され、もらったお金でグアム旅行に行く。(その際、女優の松本ちえこさんと一日中プールで過ごし、楽しく話した思い出がある。)ちなみに、転職した際にもその手法を使い、今度はハワイにも行く。
  • 三浦友和さんと山口百恵さんの新居を手がけたときには、新築ということで、大勢のマスコミが押し寄せ、マイクを向けられ、質問されまくるが黙秘をつらぬく。しかし、その映像がテレビに映ったことで、秋田在住の元カノから電話があった。
  • 200もの現場を、土地の仕入れから、設計、プランニング、職人の手配、現場の指示までを全て一人でこなし、限界を超える仕事量を経験したことで、脳の回路が開き、建物も含めたあらゆる造形物をどの角度からでもイメージできるようになる。また、ビジネスやプロジェクトの構想では、全てを2Dの静止画ではなく、3Dの動画でイメージするようにしている。
  • この頃、ニューハーフのお店で、「エスコートをしてくれ」、「いっしょに踊ってくれ」と言われ、その時にスカウトされたことで、ファッション雑誌のモデルを数か月していたこともある。
  • 三菱自動車のカーディーラーで「(展示していた)この車をください」と言ったところ、店長から「買い方(カタログや仕様で選ばなかった)が気に入った。君は将来、必ず独立する。そのときは名刺をくれないか」と言われ、ほどなくショールーム設計の仕事をもらう。
  • 20代前半の頃、発明したアイデアを、ある大企業に持ち込んだところ、とても感心され、商品化に向けて話は進んでいたが、数回目に会社を訪れた際、「実はうちの役員が同じことを考えていた」と言われ、アイデアを盗用されたことがある。現在、その会社はそのアイデアを商品化した売り上げのおかげもあって、月商数十億円規模になっており、当時は思いつめるほど悔しい思いをしたが、今ではその出来事があったから、発想力が身に付いたと思っている。
  • 20代の半ば頃。京都の箱庭に関心を持ち、枯山水や茶室を研究した際に、花やお香に興味を持つようになる。以来、仕事のときには、伽羅のお香(正覚が好き)を炊いて、音楽をかけながら行うスタイルが定着する。
  • 20代後半の頃、電話の転送と交換のシステム(アメリカ製)を使って、シルバー向けの転送テレフォンクラブを始め、新聞広告も出したが、電話は一件も来なかった。それから、ダイヤルQ2の時代を迎えたことで撤退する。
  • 発明将軍ダウンタウンに三度出演したことがある。一度目の出演の際、発明ノートを番組ディレクターに見せたところ「毎週来てよ」と言われた。毎回、ユーモア発明クラブ会長の牧野圭一氏をはじめ、審査員からは激賞され、優勝のリハーサルまでしたにも関わらず、一回もチャンピオンにはならなかったので、いまだにアレは何だったのか?と不思議に思っている。
  • 30代の半ば頃。仕事終わりに老人ホームや介護施設を訪れ、マジックなどを披露したり、ピアノの弾き語り(社員)するボランティア活動を始めるが、一瞬の喜びしか与えられないことに気づく。そこで、「お年寄りが自発的に発想したり、発表する場」というふうにコンセプトを変え、何も思いつかない人には子供の頃の思い出話を語ってもらう…といった活動を1年半行う。
  • 麻布の中華料理屋を手がけた際、店主の奥さんが「便器の色が気にくわない」と言ったので、交換するも、やはり気に入っていただけず。オープン前日、お望みのものが九州に一個だけあることがわかり、東京から車で取りに行き、オープンギリギリ直前に間に合わせたことで、奥さんから涙を流して喜ばれる
  • 耐震診断の仕事をしていた時、あまりに契約をバンバン取るので、ある大企業の経営者から講師を依頼され、東京国際フォーラムで300人を前に営業の秘訣を話したところ、出席者がゴリゴリとメモを取るほど大好評を博したが、その一方で自分は、大人数の前で話すのはコリゴリと思っている。
  • 誰もが行くのをためらうような難易度の高いクレーム案件が入った場合でも、率先して現場に出向き、逆に必ず何かしらの仕事をゲットして帰ってくるので、周囲からは非常に不思議がられている。
  • 檜原村に行った際、ある陶芸展があり、そこで知り合った、ある陶芸家(銀座で個展を開いた際にはロックフェラーキッシンジャーから制作を依頼されたこともある)と意気投合。古民家の移築等の話題で盛り上がる。「先住民族を救うプロジェクト」のため、カナダへの移住に誘われるが、丁重に辞退する。
  •  玄秀盛さんの公益社団法人日本駆け込み寺と共同でパトロール隊を結成(奥さんも)し、新宿歌舞伎町を中心に夜回り活動を実施する。
  • 父親のDVに悩む女性や、うつ病に悩む女性に対して、救いの手を差し伸べ、「通える時でいいから」とフレックスタイムで雇用する。
  • 高速のインターで、シェットランド・シープドッグが捨てられていたのを拾って以来、夫婦で、捨てられたペットの保護や、里親を探す活動を継続している。また、自宅の一室を動物用に改装し、最盛期には30種類以上の動物を飼っていた。現在も、犬、猫、オオトカゲ、イグアナ、スッポンを飼っている。
  • ムツゴロウさんのような動物に対する深い愛を体現したエピソード。秩父からの仕事帰り、車で山道を走行中、血だらけのタヌキがよろけているのを発見し、車がバンバン走っていたので、『危ない!』と思い、タオルでくるみ、口やお尻に付着していた血をウーロン茶で洗い流し、強烈に臭かったが自分の膝の上に載せ、左手で抱きかかえながら右手で運転し、八王子の動物病院に運んだことがある。
  • 神奈川の公園で犬を散歩していたところ、暴走族(5台のバイク)が来た。犬がひかれそうになったので、殴りかかろうとして突っ込んだら一目散に逃げられた
  • 繁華街や飲食店などで、これまでにケンカの仲裁に入った回数は数知れず。どんな修羅場も穏便に収める特技を持っている。しかし、あまりに迫力があり過ぎるため、ケンカしていた当事者たちがビビってしまい、周囲からは逆に仲裁行為を制止されてしまうので、コント55号ではないが、『なんでそうなるの…』とやるせなす…もとい、やるせない気持ちでいる。
  • 法人営業を最も得意としており、業界でも入り込むのが難しいと言われるNTTとの専属契約を勝ち取ったこともある。
  • どんな大物(仙人、芸術家、政治家、経営者、学者、外国人)からも、初対面で気に入られる人格を持つ。そのため、全国に知り合い(ファン)も多く、ユニークなところでは、ウォーレンバフェットに麻雀を教えたセレブのご婦人や、ニーム協会の会長、水森亜土さん、11PMにも出演していた仏師秀雲さんなどがいる。また、20代の頃には、ヤクザの親分から気に入られ、可愛がられた過去がある。現在も、日本社会のフィクサー的な人物(政界のドンとも言われている)と親交がある
  • 松田製作所(現在は倒産)時代に知り合った、現在はドバイ在住のK氏(100円ショップがドバイに進出する際の相談役を引き受けた人物で、富豪で金髪の奥さんがいる)から、「3億5千万円あげる」と言われたが、いまだにもらってないので、「K宝くじ」と呼んでいる。
  • 還暦近い年齢にもかかわらず、よく30代に見られる(白髪が一本もない)。
  • 葉巻にはこだわりがあり、吉祥寺の葉巻バーに行き、酒はまったく飲めないので、アルコールの入ってないカクテルを作ってもらいつつ、世界中の葉巻を試した末、最終的にTOSCANELLO(イタリア)に辿り着いた。
  • ジャズが好きで、ジャズ・クラブのブルーノートや、ライブ・レストランのコットンクラブ横浜赤レンガ倉庫によく行く。また、よく聴くのは、エンヤケニー・Gデイヴ・コーズベッド・ミドラーウィンダムヒルオーケストラアンドレ・ギャニオン
  • 漫画はほとんど読まないが、植田まさしさんの4コマ漫画(コボちゃん、かりあげクン)だけは好きでよく読む。
  • 日本水仙、桜、梅の香りが好き。日本水仙は毎年、千葉の勝浦で楽しむ。桜に関しては、花見の名所は、花を愛でる目的以外の人がごった返しているので、夜一人で、誰もいない近所の公園に行き、香りを楽しむようにしている。
  • 生まれてから一度も筋力トレーニングをしたことがないにもかかわらず、全身が筋肉の塊で、特に前腕はアームレスラーのように太く、握力も中学生の頃から80kgあり、腕相撲もハンパなく強い。
  • 商品開発で使用する部品や素材を購入する際、リサーチにおけるネット検索の速さが尋常ではなく、すぐに目的のものを探し当ててしまうため、タテノ(管理人)は密かに『スタープラチナのような、スタンド的な能力を使っているのでは?』と疑っているが、そんなハズないのは明白である。
  • 初めて訪れた現場を視察する際、iPadProで写真を撮影し、ノートアプリを駆使して、文字や図表などを素早く書き入れ、打ち合わせの中で、数枚の提案書を書き上げ、提出までしてしまうため、相手から驚嘆されることもしばしばである。
  • 現在、複数の重要プロジェクトに関わっているが、一方では知り合いの経営者から、「一緒に仕事をしたい」「一緒に会社をつくろう」とひっきりなしに声がかかっているので、『どうしたものか…』と頭を悩ませている。
  • 元高級官僚で資産家の男性(80代)から、銀座のオフィスで打ち合わせをした際、都政への出馬を打診されるも、まったく興味がなかったため、丁重にお断りする。
  • いわゆるビジネス書の類は一切読まないが、一冊数万円もするような専門書籍だけは、お金に糸目をつけずに購入し、読むようにしている。また、そういう中で、会いたいと思った人物(経営者、研究者、大学教授)がいたら、全国どこでも直接会いに行き、教えを乞うように心がけている。
  • ありとあらゆるジャンルのお店において、販売メニューにない商品をオーダーし、それをメニューに加えてもらうことで、相手の商品開発に貢献している。
  • 人生のBGMは吉田拓郎さんの“人間なんて”だが、辛いことがあると渥美清さんの“泣いてたまるか”を口ずさむ。また、カラオケの腕前はプロ級である。
  • 趣味は絵やイラストを描くこと。幼少の頃より、画用紙の上に絵が浮かび上がって見える、その通りに描くことで数々の賞を受賞するも、自分としてはただなぞっただけなので逆に自信がなく、自分の実力じゃないと思っている(生け花の造形でも賞を受賞した)。
  • 飲食店など、人が大勢いる場所では、聖徳太子のようにたくさんの声が聴こえてくるのが悩みである。
  • 誰にも相談できないほど辛いことがあった時は、都会を離れ、ひと気のない夜間に海や山に行き、大自然と対話することでエネルギーを充電するという生活をかれこれ30年以上続けている。
  • 2012年11月、東久邇之宮国際文化褒賞を受賞する。
  • 最後に。いろいろ列記してきたが、要は、北斗の拳のラオウ(の強さ)とジュウザ(の魅力)とトキ(の人格)とが合わさったような人物といえば、それほど間違ってない。
  • タテノ(管理人)と初めて会ったとき、彼が自分と同じ“変人族”であるとすぐに分かりました。そして、彼のお父さんにそのことを伝え、その話が彼に伝わったときに、とても喜んでいたというのを後から聞いて、『やはり!』と確信しました。それから数か月くらいしたとき、彼がこれまでに書きためた膨大な量のアイデアノート(発明、ビジネス、商品、サービス、ゲーム企画)を見せてもらう機会がありまして、『これはもう間違いない!』と思いました(笑)。

 

現在の研究テーマ
  1. 商品や技術における新しい用途の創造
  2. 人生とビジネスにおける物語の創造
  3. 人間心理と承認欲求(のツボ)
  4. 異次元の若々しさを保つ秘訣