葛城ミサトが碇シンジに言った名言に学ぶ☆新世紀エヴァンゲリオン

(人生の)乗換案内人のTATeNoです。

“風来の案内人”、まだ始まったばかりですが、早くもDr.スランプにおちいってます。

…というのは、さすがに冗談ですが、何と申しますか…便秘のような、スッキリしない感じを味わっている、というのが正直なところです。

これまで温めに温めた膨大な量の書きたいこと、書くべきことがあるのに、なにかこう…もう一つノリきれてない自分がいるみたいな。

そこで、今回のエントリーでは、自分への戒めの意味も込めて、人生を前に進めるための考え方について、書こうと思います。

何か新しいことを始める際に躊躇してしまう人、現実を変えたいと思ってもなかなか変えられないと思っている方に読んでいただければ幸いです。

若気の至りと後悔

“若気の至り”という言葉もあるように、人は誰しも若い頃には、その若さ(青さ)故に間違いを犯します。

私もこれまでの人生で、数々の判断上、言動上のミスを犯してきました。

その時々の年齢で、自分なりには『これがベスト!』と思われる判断をくだし、懸命に生きてきましたが、その結果として、頭を抱え込みたくなるような数々の失敗を犯し、そして、それを後から振り返った時に、自室の壁に正拳突きをくらわしたくなるような後悔の念を、ストレスと共に感じてまくってきたワケです。

  • 『あのとき、アレをやっていれば…』
  • 『あのとき、アレをやらなければ…』

 

やった後悔とやらなかった後悔。
どちらもあります。

ちなみに、世間では、やらなかった後悔ばかりがクローズアップされますが、何かをやった後悔(言った後悔)というのも、人生には間違いなくあります。

  • 『あのとき、アソコに行かなければ…あんな嫌な思いはしなくて済んだのに』
  • 『あのとき、アイツと会わなければ…あんな嫌な思いはしなくて済んだのに』
  • 『あのとき、アレを言わなければ…あんな嫌な思いはしなくて済んだのに』
  • 『あのとき、アレを買わなければ…あんな嫌な思いはしなくて済んだのに』

 

「全ては体験」とか、「人生で無駄なことは一つもない」とか、「全ては自分の解釈次第」などといった話もありますが、たとえそれらが真実で、理屈としては分かったとしても、『何かをやらなければよかった』『何かを始めなければよかった』という後悔は厳然と我々を苦しめ続けるワケです。

同意していただけますでしょうか?(笑)

 

“若書き”をしてはいけない?

さて、文章においては、「“若書き”(わかがき)はしてはいけない」ということが戒めとしてよく言われます。

“若書き”(わかがき)

意味としては、若い頃に書いた文章(作品、記事)のことです。

現在は立派な文章を書いている大御所も、『あらま(黒柳徹子さん風に)、若い頃はこんなに未熟な文章を書いていたのね』的な、どちらかと言えばネガティブな響きを持った言葉です。

若い内は、まだ経験も少なく、見識も浅いので、そんな状態で文章を書いてもロクなものにならない。

だから、

「若気の至りで、青臭い文章を書くのは、どうか謹んでくださいねー」

ということです。

やった後悔を回避するためのアドバイスとも言えます。

なるほど。ごもっとも。
確かにそういう部分もあると思います。

でも、思うんですよね。

ならば、いつから書けば若書きではないのか?と。

当然、ここまでは若書きで、ここからは若書きではない、という明確な線引きはできません。

また、世間には、“60、70は鼻たれ小僧”(40、50はのバージョンもアリ)みたいな言葉もあります。

しかも、間違いということに関して言うのなら、年齢を重ね、経験を重ねてからも、人は間違いを犯します。

何が間違いか?間違いの基準は?という観点はありますが、それはともかく、これからの人生でも、きっと私は間違い続けるでしょう。

絶対に何も間違えない自分なんてものには永遠に到達できません。

皮肉にも、これだけは間違いないと自信を持って言えます。

  • 失敗
  • 失態
  • 失言
  • 失恋←?

 

人間である以上、ある程度それは仕方のないことです。

ただですね、間違えるのがダメとなると、私はいつまでたっても物を書き始めることができません。

だって、そうではありませんか?

我々は生涯、間違い続ける未熟な人間なのですから、そんな我々が書く文章はいつまでたっても、若書きの域を脱することができないワケです。

話が極端でしょうか?

 

“若書き”をたしなめる衝動

話を少し変えましょう。

「残りの人生の中で、一番若いのは今」というような言葉を聞いたことはありませんか?

考えてみれば、確かにそうです。

今日という日は、そして今という瞬間は、未来の自分からすれば、確実に若い自分なのです。

つまり、何が言いたいかというと、

『若書きをしてはいけない!』という、若気の至りをたしなめる言葉を、今の自分にも当てはめてしまいそうになる衝動が、常に私の中にあるっていう話なんですね。

だって、そうではないですか。

10年後とか、20年後の未来の自分からすれば、今の自分が書いた文章なんて、未熟に感じるに決まってるんですから。いや、1年後でも、半年後でもそう感じるでしょう。

だから、文章を書くことに対して、常に『もうちょっとしてから書こう』っていう気持ちがあるんですね。

  • 『もうちょっと勉強してから、記事を書こう』
  • 『もうちょっと賢くなってから、記事を書こう』
  • 『もうちょっとアイデアが出てから、記事を書こう』
  • 『もうちょっと考えが深まってから、記事を書こう』
  • 『もうちょっと文章が上手くなってから、記事を書こう』

 

そして、その後に続く言葉はこうです。

  • 『そうすれば、今書くよりも、もっといいものが書けるに違いない』
  • 『そうすれば、今書くよりは、間違いのないものが書けるに違いない』

ちなみに、私も記事を書く時は毎回、自己嫌悪に陥ってます。

  • 『何でこんなにも発想が貧困なのか』
  • 『何でこんなにも言い表せないのか』
  • 『何でこんなにも文章がヘタなのか』
  • 『何でこんなにもユニークじゃないのか』

それに比べて、あの人(私の中で何十人かいます)の文章のユニークさ、上手さときたら…。

そんな自分ですから、確かに何年後か何十年後かに書けば、今よりもいくぶんかマシな文章が書けるのかもしれません。あくまでもマシですが。

 

準備万端主義の弊害

ちなみに、これは文章だけのことを言っているワケではありません。人生万般に通じる話です。

  • 『もうちょっと準備してから、独立しよう』
  • 『もうちょっと勉強してから、ビジネスを始めよう』
  • 『もうちょっと上手くなってから、〇〇を発表しよう』
  • 『もうちょっと自分が成長してから、〇〇を始めよう』
  • 『もうちょっと自信が付いてから、道場に入門しよう』
  • 『もうちょっと筋肉が付いてから、ジムに入会しよう』

思い当たるフシ、ありませんか?

ちなみに、最後の二つは個人的なホロ苦いおもいで話です(笑)。

それにしても、矛盾してますよね。

筋肉がない細い体だからこそ、ジムに行ってトレーニングをするワケですし、弱くて自信がないからこそ道場に通うワケですから。

ジム 筋肉トレーニング 屈強 – Google 画像検索

しかし、ジムの話でいえば、この時の私の考えでは、筋肉ムキムキの人ばかりがいる中で、『自分だけ細い体では恥ずかしい』『自分だけ扱う重量が軽いと嫌だ』というものでした。

いやはや、まったくお恥ずかしい…。

でも、そうやって、準備ばかりに励んでいるうちに人生って過ぎ去っていくんですよね。ドンドンと。

光陰矢の如し。
日暮れて道遠し。

私も、過去には膨大な時間を無駄に過ごしてきました。
しかし、人生は短いです。戦慄するくらいに。

そして、究極的には人間なんていつ死ぬかなんてわからないワケです。

間違いなく確実に100歳まで生きると寿命が天から保障されているのなら、ともかく。
もしかしたら、明日死ぬかもしれない。

もっとも、そんなことを言いながらも、一方では『それだけはないだろう』と思っている自分もいたりするワケですが。

再び文章の話に戻れば、もし途中で死んでしまったら、何も書くことがないまま終わってしまいます。

ただ、頭の中で考えただけの人として一生を終えるのか。

それとも、

自分の考えを何かしらの行動(書くのも含めて)に移し、自分の思いを世界に伝え、世界に価値を創造し、提供し、微弱ながらも世界に影響を与えた人物として一生を終えるのか。

最終的には、その二択に行き着くのではないでしょうか。

さらに、これはまた違う話になりますが、自分も、自分自身を取り巻く世界や状況もドンドン変化していくんですよね。

だから、ありふれた結論になってしまい誠に恐縮ですが、今の自分としてベストを尽くす行動を、直(ただ)ちに開始しなければならないワケです。

私の場合ですが、必ずしも満足のいく文章ではないものの、今の自分として書きたいことや書くべきことを、これまでにいくつかのブログ上で、全力で書いてきました。

そして、現在は“風来の案内人”の記事を書いています。

将来、自分が書いた文章を読み返したら、『何だこれは!』と絶叫し、悶絶しながら、あまりの恥ずかしさに記事を削除したくなる衝動に襲われるかもしれません。

でも、それならそれでいいのです。
それも含めて、私の生きた軌跡ですから。

読者の方に、私なりに掴んだ、生きる上での大切なことや、“人生を変えるきっかけ”となるようなメッセージをお届けするために、パソコンを前にして、持てる力のギリギリ限界まで格闘したこと。

毎回毎回、身悶え(みもだえ)するように格闘し続けたこと。

その胸苦しさだけは、きっと生涯忘れることはないと思います。

葛城ミサトさんの名言

ここで、“新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に”より、葛城ミサトさんの名言を紹介させてください。

有名ですので、ご存知の方も多いとは思いますが。

主人公の碇シンジに対してのセリフです。

「今の自分が絶対じゃないわ。あとで間違いに気付き、後悔する。私はその繰り返しだった」

「ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ…。でも、その度に前に進めた気がする」

 

葛城ミサトさんの名言ではありませんが、確かに私も行動したことで、数々の間違いを犯してきましたが、でも、その度に人生を前に進められたような気がします。

切ない話です。
涙が出る想いです。

でも、本当にそうなんです。

この言葉通り、ぬか喜びと自己嫌悪を重ねた分だけ、前に進めた気がします。

だから、あなたも書いてください。
若書きであることを恐れずに。

今の自分として、精一杯書いてください。

もちろん、書くことに限りません。

今日から、今から、何かを始めてください。

“千里の道も一歩から”です。

ところで、ここまで書いてきて気づきましたが、“やった後悔”とは誰にとっても人生の汚点なんですね。

汚点。

大いに結構じゃないですか。

衣服だって、長く着ていればシミの一つや二つ付きます。

clothes stain – Google 画像検索

実際、私の下の妹は、高校生の頃、買ったばかりのオレンジ色のパーカーにシミ(中華料理の油)を付けて、母と上の妹から、説教(笑)されてましたし、以前、私が勤めていた職場の後輩は、昼食にのり弁を食べている時、備え付けのソースだか醤油だかを開ける際に、自分が着ていたおろしたての真っ白なシャツにぶちまけて、全員から大笑いされて、頭をかいてました。

長く生きていれば、そりゃあ、人生にもシミの十個や二十個は付きますって(笑)。

ただですね、衣服の場合は、シミ抜きをしたり、家で着る専用にしたり、新しいものを買ったり、するワケですが、人生のシミ(若気の至り・若書き)を削除したい汚らわしいものと見るか、どうかはあなた自身にかかっています。

 

自己嫌悪に陥るのは自分が成長したから

我々は、過去の間違いに思いを巡らせた時、どうして自己嫌悪に陥るんでしょうか?

それは、今の自分だったら、『そんな間違いはしないのに』『もう失敗は繰り返さない』と思えるからです。

つまり、そう思えること自体が既に自分が成長した証しであるといえないでしょうか。

そうだとするなら、どうなるか?

忌み嫌っていた“過去の汚点”が、見ようによっては、現在の自分の成長を確かめるための比較材料になると思いませんか?

つまり、

『何て下手な文章を書いていたんだ』と、過去の記事を人生の汚点と見なし、後悔して落ち込むのではなく、『自分も、少しは上達したもんだ』と、思えば遠くへ来たもんだ的に、成長したことを実感するための喜びの材料にするという意味です。

人は、成長を続ける限り、過去の自分がダメダメに思えるということが起こり続けます。

ですから、その意味においては、過去の自分や過去の言動に対して、恥ずかしく思ったり、後悔したりするのは、実に健全なことなんです。

 

恐る恐るでもいい

『いつか…』『そのうち…』と思って、まだやっていないことがあるという方へ、申し上げたいことがあります。

我々は、もっともっと気軽に適当に始めるべきである、と。

いや、気軽にじゃなくてもいいです。

恐る恐るでもいいから、そろりそろりとやってみるんです。

私も、そうやって過去にはたくさんのことを始めました。

そして、止めたものもあれば、現在まで続けているものもあります。

 

結びに

実は、このブログ自体が『いつかやろう』と思って、ずっとやらないでいたものです。

衝撃ですよね?(笑)

確かに、構想に時間をかけたのもあります。
それは、それだけ想いが深く、強かったからです。

“風来の案内人”なんてタイトル一つとっても、どれだけの時間をかけて思索してきたことか…。

ちなみに、もし私が始めていなければ、今あなたがこのエントリーを読むこともありませんでした。

だから、自分に対して言います。

書け!書くんだジョー!

…すみません。真面目にやります。

 

物書き(の端くれ)への叱咤

若書きがなんだってんだ?
そんなことを言い訳にするんじゃあない

若かろうが若くなかろうが
そんなことはカンケーない

そんなことを気にしている場合か?

だから、書け!とにかく書け!
未来は書くことにかかっている

間違いがなんだってんだ?
そんなことも言い訳にするんじゃあない

間違おうが間違わなかろうが
そんなことはカンケーない

でも、誤字脱字はカッコ悪いぜ?

ならば、読め!とにかく読め!
間違わないに越したことはない

ヘタクソがなんだってんだ?
そんなことは言い訳になりゃあしない

上手かろうが上手くなかろうが
そんなことはカンケーない

テメエの文章に自信がないのか?

ならば書け!とっとと書け!
下手糞が下手くらいには上達する

人生は短い
いつか宇宙の長い歴史も終わる
やがて人類の短い歴史も終わる

そんな歴史の中で
今のお前、今のお前としての生は
ただの一度きりだ

(※くり返し)
だから書け!とにかく書け!
書いて書いて書きまくれ!

 

…さてと、それでは、次のエントリーの執筆に取りかかるとします。

自己嫌悪と戦いながら。

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