映画GATTACA(ガタカ)の感想と考察

TATeNoです。

以前、オリンピックのマラソンで日本人(女子だったか、男子だったか)が惨敗した時に、高橋尚子さんが厳しい表情で次のような意味合い(あくまでも)のことを言っておられました。

今の選手は、自分を守りながら走っているように見える。しかしそれでは、日本の練習方法を取り入れて強くなった今のアフリカ勢(元々、スピードもあり、心肺機能も強い)には到底勝てない。もっと、限界を超えることを恐れずに走ってほしい。

 

高橋尚子さんの、この発言については専門的な見地から様々な意見(肯定的なものから否定的なものまで)があると思います。

しかし、恐縮ですが、とりあえずそれは脇に置いてください。
そうしないと話が進みませんので

それを聞いた時、私の頭には、ある映画の、あるシーンが即座に浮かびました。

映画“GATTACA”(ガタカ)で、兄弟が(海で)遠泳競争をするシーンです。

gattaca sea – Google 画像検索

個人的な所感として、あの海での遠泳シーンは映画史に残る名場面だと思っています。

※以下はネタバレになります。

才能や素質で劣っている者が、能力差の壁を超えるにはどうしたらいいのか?

その、ひとつの答え(というかヒント)が、ガタカにはありました。

遺伝子操作により生まれたは、優れた知能と体力を持つエリート。

いわば、ドラえもんでいう“出来杉”くんみたいなものです。

出木杉 – Google 画像検索

それに対して、自然妊娠で生まれたは知能でも体力でも弟に劣る存在。

“のび太”くんのイメージです。

野比のび太 – Google 画像検索

普通に競えば兄(のび太)が弟(出来杉)に勝つのは不可能です。

100回競えば、100敗するのは必至。

ですが、映画の中で、劣等者の兄は弟に勝ちました。

なぜなら。

弟は、元の岸に戻ることを意識しながら(実際、口にも出して)泳いでいたのに対して、兄は、岸には戻らないつもりで、必死に泳いだからです。

「あの時もそうだった。戻ることなんか考えず、全部の力を出し切ったんだ!」

 

余力を残した弟と全力を出した兄。

この差です。

ただ、そう言ってしまうと、まるで余力があることが悪いように思えてしまいますが、別にそんなことはありません。

むしろ、心身両面において、余力(余裕)を残した状態で日々を過ごすのはとても大切な人生戦略です。

余力があればこそ、新しいことにも挑めますので。

しかし、(競技であれば)本番でもその調子では、勝てる勝負も勝てませんし、元々勝てない勝負なら必敗です。

また、いつまでたっても自己の限界を打ち破れません。

ですので、やはりここぞという場面では、ギアを切り替えて必死に取り組まなければならないのです。

必死とは、生死を顧みず、全力を出し切ること。

ただ、実際のところ、そう思ったとしても人間なんてそう簡単には死にません(その上で、当たり所が悪くて簡単に死んだりするのも人間ですが)ので、そんなことも頭の片隅に置きながら、時には多少無理をしてみてはいかがでしょうか?

たとえば、私が鬼のように筋トレをしていた頃、自分に言い聞かせていた言葉に『きつくなってからが勝負』というものがありました。

『もう無理!』と思ってから、何回こなすのか。
そこからこなした分のみがパワーアップに繋がると。

毎回、自分ができる範囲で、余力を残した状態でトレーニングしても、パワーアップにはちっとも繋がらないと。

筋トレ業界(そんなものがあるのか分かりませんが)では、メジャーな考え方ですが、これはあらゆることに当てはまります。

  • 仕事でも
  • 勉強でも
  • 読書でも
  • 練習でも
  • 稽古でも

 

日々、意図的に余力を生み出しつつ、一方では全力を出して限界を打ち破る。

これでいきましょう。

…ガタカの遠泳競争をするシーンの感動を伝えたくて書き始めたのが、最後はこんなラストメッセージになってしまいました。

しかし、全力で書いた(泳いだ)ことで、自分でも予想もしなかった所に辿り着けたという意味では、これはこれでいいのではないでしょうか。

それでは、今回はこの辺で。

また次のエントリーでお会いしましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です