千里の道も一歩から(ことわざ)本当の意味

石畳を歩く男

“Henzine”管理人のタテノです。

しょっぱなですので、こんなエントリーはいかがでしょうか。

千里の道も一歩から(ことわざ)本当の意味

千里の道も一歩から。

巷でよく使われている?ことわざの一つです。

よく目上の人が目下の人に対して、

「いいな?千里の道も一歩からだぞ」

というようなことを言ったりします。そんなこと言うか?

ところで、当のご本人は、このことわざの深い意味を理解して言っておられるのでしょうか。

まず外堀から埋めます

ところで、“里”とは何のことでしょう。

wikipediaによれば、“里”とは長さの単位のことで、一里は3927.273 m(約3.93km)であり、千里は、3927.273kmとなります。

北海道の知床岬から鹿児島の種子島宇宙センターまでが直線で結ぶと、ちょうど2000kmですので、その間を往復したくらいの距離ですね。

“一歩”とあることからも徒歩ですので、まあ、確かに気が遠くなるくらい長い距離ではあります。

さて、そんな“千里の道も一歩から”という言葉ですが、世間一般ではどういう理解をされているんでしょうか。

途方もなく長い時間がかかる物事も、はじめの一歩を踏み出さないことには一向に始まらない。

おそらく、そんな感じだと思います。

ただ、この程度の表面的な浅い捉え方では、残念ながら我々の実人生に活かすことができません。

そこで、“千里の道も一歩から”という抽象的なこの言葉を、我々の実人生に使えるレベルにまで具体化してみましょう。

 

千里の道とは何か?

まず、“千里の道”とは何のことをいっているのでしょうか…?

これはそんなに難しいものではなく、そのまま普通に読めば大丈夫です。

“気が遠くなるようなゴールまでの道のり”のこと。

ここでは、気が遠くなるというのがポイントです。

万里の長城 – Google 画像検索

つまり、目標のあまりの大きさに、ゴールまでの長い道のりに思いを馳せると、やる気がすっかり失せてしまうワケです。

従って、ゴールに到達している自分の姿だけは何となく想像できたとしても、道のりを歩んでいる自分の姿はサッパリ想像できない。

そんな感じです。

ちなみに、ゴールは人によって様々です。

  • 国家資格を取得する
  • 武道で黒帯を取得する
  • 恋人を作って結婚する
  • 自転車で日本を一周する
  • バイクで大陸を一周する
  • ヨットで世界を一周する
  • ダイエットで30kg痩せる
  • 会社を作って上場させる
  • 将来、宇宙飛行士になる
  • 新しいスクール設立する
  • 自分のコミュニティを作る
  • 英語を勉強して通訳になる
  • 所属する業界で日本一になる
  • プログラムを学んでアプリを作る

一歩とは何か?

では次に、“一歩”とは何のことをいっているのか?について考えてみましょう。

これは、このことわざにおけるキモとなる部分ですので、読み解くのがけっこう難しいです。

ここで参考になる一つの話があります。

月面着陸に成功した宇宙飛行士のニール・アームストロングさん。

ニール・アームストロング – Google 画像検索

彼の遺した有名な言葉に「これは人類にとって小さな一歩だが、人類にとって大きな一歩である」的なものがありますが、ここでの“一歩”は前と後とでは、同じ一歩でも意味が異なります。

  • 小さな一歩=個人の足跡
  • 大きな一歩=偉大な飛躍

このように、“一歩”という言葉にも様々な意味が込められているワケです。

“一歩”が何を表現しているのか?

これをどう読むかで、このことわざの真価が決まります。

普通に読めば、一歩とはひと足一段階といったような意味になるでしょう。

しかし、私は次のように読みました。

  • (やる気がしないくらい無意味に思える)小さなこと。
  • (あまりに小さなことなので)今すぐにでもできること。

つまり、一歩とは“今すぐにできる小さなこと”です。

“千里の道”が、いつか訪れる未来なのに対して、この初めの“一歩”では、いまを表しています。

また、“千里の道”では、道のりのあまりの長さに“気が遠くなっていた”のに対して、この初めの“一歩”では、せめてやる気があるのかと思いきや、これまた困ったことにやる気がしないワケです(笑)。

そして、やる気が出ない一番の理由は、その行動が無意味に思えるほど小さなことだからである、と。

整理すると次のようになります。

  • 千里=長い道のりで気が遠くなる=やりたくない
  • 一歩=何だか無意味に思えてしまう=やりたくない

従って、「千里の道も一歩から」を私流に言い換えると、「やりたくないこともやりたくないことから」となります。

さっぱり意味が分かりませんね(笑)。

でも、恐ろしい(?)ことに、これがこの言葉の語っている本当の意味であると私は捉えています。

この認識を持たずに、いくら“千里の道も一歩から”と言っていても、まったく意味がありません。

それでは、何も言っていないに等しいのです。

しかし、「やりたくないこともやりたくないことから」と言い換えた時に、このことわざの持つ深みに出合うことができます。

なぜか?

それは、同じやりたくないことでも、前者と後者では意味が異なるからです。

つまり、どういうことかというと、

  • 千里=長い道のりで気が遠くなる=大変過ぎるのでやりたくない
  • 一歩=何だか無意味に思えてしまう=バカバカしいのでやりたくない

となります。

同じ“やりたくないこと”でも、『大変だから』と『バカバカしいから』とでは意味が大きく異なります。

何故なら、大変だからやりたくないのは心情的に理解できるとしても、バカにしてやりたくないのは、大馬鹿野郎だからです。

それでは、そんな無意味に思えてしまうほど小さな行動とはいったいどれくらいのレベルのことをいうのでしょうか?

 

無意味に思えてしまうほど小さな行動とは何か?

ここで、ひとつヒントになるようなエピソードを紹介します。

私の知り合いの、あるご婦人の話です。

彼女は、80歳になる直前にピースボートに乗って、世界を一周すると決めました。

ピースボートとは、国際交流を目的として設立されたNGOの名称なので、厳密に船の名前そのものを指しているワケではありませんが、ここでは細かい話はいいでしょう。

彼女にとって、ピースボートに乗ることはやりたくないことではありませんでしたが、体力面で多少の不安はありました。

そこで、体力づくりの必要性を感じたワケです。

  • 千里=ピースボートに乗って世界を一周する=やりたいが不安

さて、ここでの一歩は何だと思いますか?

ピースボートに乗って世界を一周する上で、その時の彼女にとって、(やる気がしないくらい無意味に思える)小さなことは何だったのか?(あまりに小さなことなので)今すぐにでもできることは何だったのか?

彼女は、自宅の部屋の中を歩くということをしました。

これは実話です。

“ピースボートの旅を完遂すること”が千里のゴールとするなら、部屋の中を歩き回るということが彼女にとっての“一歩”だったワケです。

  • 一歩=部屋の中を歩く=ツマらないのでやりたくない

この話を聞いて、多くの人はバカにすると思います。

「部屋の中を歩くって何だよ?」的な。

…だから、現実がいっこうに変わらないのです。

そうやって行動を始めないから、ほとんど何も成し遂げることができないまま時間ばかりが過ぎ去ってしまうのです。かつての私のように

その愚かさというのは、たとえるなら、棋士が開始直後に千手先までを読み(実際は駒が動いてなければ読みようがないワケですが)、一人で勝手に「参った!」と言って、何もしない内に投了するのに似ています(苦笑)。

ちなみに、彼女は努力の甲斐もあって、2008年の9月7日から2009年の1月13日まで約4ヶ月の船旅を無事に終えることができました。

そして、念願だったマチュピチュ遺跡への登頂という偉業(彼女にとって)も成し遂げました。

彼女が部屋の中を歩いた理由

彼女は、なぜ、普通の人ならバカにしてしまうような行動をバカにせずに実行できたのでしょうか?

説明します。

普通の人の世界観では、「千里の道も一歩から」とは

一歩+一歩+一歩+・・・・・・・・・+一歩+一歩+一歩=千里の道

というイメージになると思います。

しかし、彼女はこの言葉をそういうイメージでは捉えていません。

  • 千里の道=今の一歩

なのです。

一歩はゴールに至るための“第一歩”というのが多くの人の捉え方でしょう。

だから、できるものなら、

  • 『すぐにゴールにワープしたい』
  • 『途中のプロセスはスッ飛ばしたい』
  • 『できればラクして簡単にゴールに着きたい』

などと思ってしまう。
それが本音ではないでしょうか。

しかし、変人の感覚だと、そうではないのです。

  • 今の一歩=千里の道

ということは、極論かもしれませんが、今日で人生が終わったとしても後悔はないワケです。

…まあ、その上で、本当に終わってしまうのは絶対にイヤですが。

何はともあれ。

  • 今日一日を悔いなく生きる。
  • 今という瞬間に没頭する。

そう本当に思えた時、現実は変わり始めます。
そう本当に思えた人から人生は動き始めます。

ここにきて、とてもありふれた結論に至りましたが、こういったよく耳にする言葉も、捉え直すことが大切だと私は考えます。

さて、あなたにとっての無意味に思えてしまうほど小さな行動は何でしょうか?

ちなみに、ピースボートのご婦人とは、私の伯母(母方の)です。

もう10年前の話なので、今年90歳になりますが、現在もよく食べ、よく眠り、すこぶる元気です。

私が本当に言いたかったこと

さて、ここで話が終わっては大したことありません。
ここまでは、まあ、何というかよくある話です(そうでもないか)。

私は、今回の記事を通して、「だから、今すぐにでも小さな一歩を踏み出しましょう!」と言っているのではありません。

そんな当たり前のことを言っても、あなたは屁とも何とも思わないでしょう。

私が申し上げたいのは、あなた自身が、周囲の人に“一歩”を踏み出させることの出来る人になってください、ということです。

そういう意識で人生を生きていく時、あなたは既に一歩を歩み出すことが苦ではなくなっている自分と出会うことでしょう。

といったところで、今回はこのへんで。

また次のエントリーでお会いしましょう。

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